会議・勉強

たいせつなことは

ここ一週間、新聞報道で保育関連記事も多く見かける。

来年度の予算が確定し、それぞれの分野での細かな使い道、それをひもほどく様にマスコミが独自の視点で記事化を行っている表れ。今日の朝刊では、保育士の数を増やすための施策として、年一回の国家試験の回数を2回にする、保育士の給与水準を3%あげる、など。即効力のある施策、効果が現れるには暫く時間のかかるが、今やらなければいつまでたっても解決しない、という中身まで、よく網羅されていると思う。ただ、記事のつまみ読みだけでは、その真の目的である、「子どもの育ち」にたどり着くのか、見えない。

いま、2冊の「子どもの育ち」に関する本を読んでいますが、共通する所は、子どもの育ちに大きな影響を与えるのは、家庭環境と認知教育(特に、道徳感、辛抱、我慢、やりとげるちから)であり、そのメニュー次第で、その子の人生は大きく振れるし、家庭環境の連続性はある程度保たれる傾向があるので、何世代に渡って負・正の連鎖が続くことになる、と結論づけています。親の価値観、人生観で育った子どもはそれから大きく外れた生き方をする可能性、それを次世代にそのまま受け継ぐ可能性、どちらも高いという。その連鎖に横やりを入れられるとすれば、専門家のよる乳幼児教育、学校教育である。例えば、ヴァイオリンは両手の指をバラバラな動きで奏でるので、脳の動きが活発化し、学業の上達にも好影響を与える事は、ハーレムで実証されている。

今日の昼に黄色組、青組の保育士(次年度の)と4月から始まる認定こども園の午前の4時間(8:30から12:30)の教育時間の内容について活発なディスカッションを行った。ブレストに近い形で、結論ありきではなく、大きな方向性について合意できた。後は、外注部分の精度をあげる作業と自分たちの受け持ちの部分について卒園までの見通しに基づいた、年間・月間の計画のツメ。 新聞報道とは別の動きが園内では活発に進んでいます。この辺、取材と記事化、なぜされないのか、と元PR業界人として思う。

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