その他

こーる

突然の入院から2ヶ月ほど経ちました。

週単位、時には午前・午後でも体調が変わったりするなか、献身的で優秀なスタッフと医師による治療を受けています。

ベットには、2箇所に「ナースコール」が備わっています。近距離でも複数であることがとても重要。 どちらかが故障・不具合であっても、片方が使えるように。 またトイレと共同シャワー室にも一つづつ。 前者は「点滴が終わったよー」や「体調がすぐれない時」「自分できないので、お手伝いしてほしいこと」などの際に、ボタンを押します。トイレと共同シャワー室のボタンは、それこそSOSですね。 体調が安定している時は、定期的に検温、血糖、血圧のチェックにナースが入ります。 体調が安定しない時は、安定するまで側にいて、ドクターと連絡を取りながら、苦痛を取り除いてくれます。 それ以外は、こちらから”コール”しない限り、私の部屋に入ってくることはありません。

これって、「見守る保育」と同じではないか、と昨日気付きました。 子どもたちが、一人で、あるいは集団での遊びが成立し、学びが自然発生・発展し、子どもが子どもらしい姿を見せているときには、保育教諭は見守り続けます。子どもたちは、先生の居場所を知っていて、トラブルになるど「ねえねえ、先生・・・」と話に来ることができ、アドバイスをもらって、また遊びに戻ります。 乳児は泣くことによって、感情のマイナス変化を伝えます。 ナースコールが無視されることはありません。乳児が泣いたら・・・・? 「 困ったときには助けてくれる人がいる安心感=emotional availability」。ベットの上で過ごす時間が長く、無菌室から出られないために、筋力低下が著しい私には、リハビリセンターからトレーナーさんが訪ねてくれて、室内・ベットの上でできる筋トレを教えてくれます。同じですね。

「医学的に意味がないのに、薬を出す = 発達上は意味がない指導を昔の知識をもとに先生主導でくり返す 」 こんなお医者さんや、園にはお世話になりたくないですよね。