会議・勉強

まなび

7時40分に自宅出発。富山市「やまむろ保育園」で開かれる「見守る保育」の公開保育・勉強会に参加。

和光からは私の他に4名の保育士が参加。既に、園が加盟する保育研究団体”Giving Tree”主催の「見守る保育」セミナーに参加経験者で、新宿せいが保育園も見学済み、藤森園長の話も東京と8月の金沢星稜大学での研修会で聞いているので、その延長線上で聞けて分かりやすかったと思います。公開保育の発表では、「見守る保育」を取り入れて、保育士の考え方、保育の内容、園児の様子が同具体的に変わったかが具体的な事例をもって(作り話ではなく)解説されたものも聞けて収穫大でした。保育の環境は保育者が意図的に整えるものであり、「子供たちが喜ぶから」といった脈略の無い理由で買い与えるものではない、という下りは日頃から気をつけなければ行けない点。

藤森園長の話で心に残ったのは、

「乳児・児童に対する擁護と教育」という場合の「教育」とは学校でいうところの「教育」、つまり知識を与える事ではなく、子ども達が持っているものを引き出すこと。英語の教育という単語のEducationの語源は「子どもの資質を引き出す事」。方や「教育」の「教」とは「学者で長老が子弟達をムチを使って”鞭撻”すること」であり、英語のEducationを「教育」と約したのが待ちがえの元である、という話。よって、来年度の「幼保連携型認定こども園」で新たに取り組む「教育」の部分は、ムチを打って教え込むのではなく、興味やワクワク感を引き出す内容。音楽は音符の読み方楽器の弾き方をムチを打って教えるのではなく、音階やリズムといった新しい出会いに興味を持って行く事。そこには自分から使える楽器があり、遠慮なくそれを試してみる場所(環境)を用意するのが「教育」の内容になります。入園説明会でお伝えした、試してみる、つまんでみる、ひっぱっている、どうなるか興味をしめす、といった「教育」の意味と同じです。

共感について。乳児の部屋で良く見かけますが、1人の乳児が泣くと廻りの乳児も「つられて」泣いてしまう。だから、新人が入ってくると、泣いて、ついでにこれまで泣かなかった子達も泣いてしまう、というのですが、「連れ泣き」は共感の一つで、そのうち連れ泣きした子から泣き止みます。そう言えば、昨日の松任海浜公園の帰り道。船の遊具から園長車まで歩いていると、1人がトイレに行きたい、というと僕も僕もとなる。「つれ・・・」というやつ。これは、人間の本能。大人だって、居酒屋に入り誰かが「まずは、・・・」とか頼むと、みんなそうだそうだ、となる。

ゾーンについて。かつて(?)タイガー・ウッズが絶好調の時、なにやってもスーパーショット、長いパットもスパスパきまる。実況の解説者が「タイガーは”ゾーン”に入ってますね」って言ってた。子ども達を見ていると、遊びに夢中になり、次々とパズルを解いて行ったり、ブロックで上手く形を作ったり、ままごとに夢中になったり。その「夢中になり、ゾーンに入る場所が「絵本ゾーン」とよばれ、ただ絵本が置いてあり、ページをぱらぱらめくって読んでいる・見ている場所は「絵本コーナー」。ゾーンとコーナーの使い方、意味の違いを再認識した。

その後は、いそいで北陸自動車道を戻り、自宅集合住宅の火災報知器と水道管清掃に立ち会い、次は、園で明日から始まる光触媒塗布工事の打ち合わせ、次は打ちっぱなしで50球、その後は、今週で86歳になる園長のお誕生会を関西から日帰りできている姉妹と。良い一日であったと感謝。

ところで、富山市内の信号は縦型でした。金沢はLED薄型ですが、何か意図はあるのか、と考えながら富山インターまで。





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