創生、意味深い言葉だ。
お昼は、黄色+青組のテーブルで「焼きそば」。「なんで、そんなにたべるのはやいの」とか「なんで、おみそしるないがん」という質問だったり、「あるまれして」といって「具」が少なくなったお味噌汁のカップとスプーンを渡されて、ワカメとコーンを寄せ集めて、コップをさきちゃんに渡すと、「たべさせてよ」と目で合図される。こっちまで、あーんと口を開けながら、完食のお手伝い。いやー、何年振りだろう、とか感慨深い。
1時過ぎに金沢工業大学12号館へ向かう。どこかわからないので、ぐるぐる探す。おりしも、今日はハンドルの重い四輪駆動で来てしまった。1時半から「ののいち創生 市民フォーラム」に参加。どなたか(多分、保護者の方)がこの会のチラシを私のデスクに置いたらしく、つまり「行ってくるべし」とのメッセージを頂いたわけで、ネットで申し込み、今日に至るわけです。6つのテーブルに5人づつ位座って、グループ討議。題材は、2040年の野々市。出生率が2.07人を下回るとその地域の人口は減る。ただし、社会的要因、つまり引越しなどでの転入が転出を越えると、これは人口増の要因となり、出生率が2.07を下回っても、流入が流出より多く、下回る数値分をカバーできれば、人口は減らない。金沢工業大学情報工学科の中野教授によるデータ解析では、小学校区域別の人口動態まで詳しく分析されており、興味深い。ただし、認定こども園。保育園の場合、小学校以降と違い、住所によって通える園が縛られることがないので、地域の人口動態イコール将来の園児数の読みとはならない。ただし、大きな要因ではある。園を経営する側からすると、住所で縛られない分、園の教育・保育の実力と、告知といったマーケティング活動の役割は甚大。
私のテーブルは学生(愛知と静岡)、地元の不動産屋さん(苗字でだいたいわかると思います)、市役所の課長さんと私。2040年7月25日の新聞で野々市は一体どうなっているか、どんなコミュニティーになっているか、を書くのがグループワークの課題。大学入学から数えて、10回引越しをし、そのうち2回太平洋を横断して40年弱を過ごした私としては、つまり一箇所の平均が4年。最短が1年(大学1年の時に高田馬場にアパートを借りて、他大学の地元に住むことの不便さを感じて、翌年豪徳寺に引っ越した)、最長が今回の金沢。実は、地元とか故郷とか、土地に対する愛着は育っておらず、いつでも他人事、異邦人。そんな私が2040年の野々市市を語る、これはよく言えば客観的な提言ができて、今回は好都合(、とグループのメンバーには言いました)。
私のグループでは新国立競技場みたいな大きなスタジアムを作る、高層マンションを建てて人口を増やす、プロの野球やサッカーを誘致する、などの意見がでる。私は反対。将来のお荷物(箱物であったり、将来の高齢者団地)で一時的に人口減対策をするのではなく、質の高い生活(自然、家族、職場、福祉、医療、活気、祭り、伝統、笑顔)などで人口流入による社会的な人口増と出生率をあげる相互の効果で人口を維持する。今の5万人をむやみに増やすことにより、市が持続可能な成長を続けることができるとは思わない、と意見を述べました。これまで、住んだ町のいいところを寄せ集めた際のイメージです。
途中、買い物をして家に戻り、テラスから日没を眺めていました。ま、いまの場所もわるくはないな、でももっといいところもあるだろうな、Life is short…などブツブツ言いながら。そうすると、遠くから花火大会の音だけが聞こえます。7月25日はそんな一日でした。