昨日から、少し憂鬱な気分です。
テレビニュースでも映像が流れていましたが、トルコの海岸に打ち上げられたシリア難民の子どもの写真。政情不安な北アフリカやトルコからの難民が大小の船に定員を超えて乗船し、気候の影響などで対岸にたどり着かない難民も数多くいるようです。
テレビニュースでは、子どもの遺体にはモザイクがかかっていましたが、どのような様子で打ち上げられ、浜辺で発見された後に収容されたか、については観ることができました。子どもの大きさ、いとおしく抱き上げて、収容する姿が何度か繰り返して報道されていました。今日、海外の友人のFacebookには、海外で配信されたモザイクのかかっていない写真がアップされていました。イエズス会の神父のFacebookなのですが、「この写真は多くの人に見られるべきだ。人の尊厳を屈辱する痛ましい光景から目を背けてはいけない。我々は、心を開き彼ら難民を受け入れなければならない・・・」。また、2年前に全国私立保育園連盟の海外保育体験研修で訪れた、ハンガリーの首都ブタペストの駅に、ハンガリーからドイツ、フランスに向かう国際列車に多くの人たちが乗り込む姿も、昨晩から何度も観た。
平和な日常が続く社会に居ると、エンブレムのデザイン以外に世の中の関心事が無いかのような、大きな錯覚に陥りがちですが、いま、世界で起こっていることに無関心ではいられない。何事にもモザイクをかけていては真実はわからない。まさか、が起こるのはいつの時代も同じ。911の朝、311の夕方、テレビが映し出す現実に「ありえない」と思いましたが、現実でした。神父がおっしゃるように、見なければいけない写真=現実だと、最初は”ぎょっと”しましたが、いまは感情を持って写真を見ることができます。
3歳と言えば、青組。ランチは青組と食べたので、よけいに世の中の現実を考える午後です。
海外の新聞(ワシントンポストやLAタイムス)のHPでは、モザイクなしで報道されています。これも安全や平和に対する切実感の差か、と思います。