7日のセミナーで愛知県の保育園の園長の話が新鮮でした。
ガラパゴスとか井の中の蛙。知らない間に取り残されていることを指します。そとから自分たちを見てもらったり、自分で見たり。「公開保育」と呼ばれている園の見学会、その後の話し合いでは普段気づかなかったことを気づかせてくれます。また、自分が他園に行ったときに、なるほどな、と思うような環境(もの、ひと)に出くわすことも毎回です。なので、全てオープンにして学び合うことの最大の利益享受者は観てもらった本人、というわけで、「公開保育」という習慣は保育界では長く続く学びのばです。
セミナーで”ハッ”と気づいた点。パネルディスカッションに登壇した愛知県の社会福祉法人は4園を経営しており、すべての園の年長に一人一台のiPadが貸与している。園児が調べものをしたり、相互の通信で情報のやり取りをしている。園長のネットワークで上海とベトナムの幼稚園とSkypeを介して、じゃんけんなどのゲームしたり、ジェスチャーの意味を当てっこしたり、交流を続けている。上海やベトナムの幼稚園の園長は「アジアで経済や文化で先端を走っている日本であれば、幼稚園児はみんな日本語と英語をはなす」と思っているらしく、実際Skypeの相手の幼稚園の園児は英語を話せるとか。幼稚園・保育園で英語を教えて、園児が英語を話すことが”進んでいる、いない”の範疇の問題ではなく、園児が社会にでる2035年前後では既に多くの仕事の分野で単純作業は人工知能を持ったロボットに置き換わっていて、人でなければできない仕事も国境はなくなり、ボーダーレス社会では人の往来も活発になり、その時点で母国語だけでは自分が活躍する場が限定されるのではないか、そう思います。私自信も仕事や交友関係、旅行先などで不自由がないのは母国語にこだわらなかったからで、和光の園児にはボーダレスな活躍をするときの助走をしていて欲しいと目標を立てています。