会議・勉強

しょうひではない

レッジョ・エミリアのアジア大会2日目。

まずは、会場のホテルについたら、携帯がない。タクシーに忘れた。うーん、こまった。無くすといろんな手続きが面倒で、しかも海外。ないと不便、無くすと面倒。 ホテルのサービス係の方に、タクシーのレシートを渡し、タクシー会社に連絡してもらい、ドライバーの携帯番号がわかり、届けてもらうことに。 休憩時間に係の方のところに行くと、ありました。わたしのスマホ。チップを渡して、お礼を言って、ラッキーだと幸運に感謝。

午前は、レッジョ・エミリアの歴史。第二次世界大戦はヨーロッパでは春に終わっており、4月よりイタリアの国家再建が始まった。地元の有志が川に石を拾いにいったり、材料を集めて建築した園舎からスタート。それ以来、市の教育長は選挙で選ばれ、教育委員会も自薦他薦で選ばれ、運営も市民が深く関与している。今でも。市民であることは、つまり社会参加の責任を負うことであり、教育は消費するものではなく、提供し提供されるもの。保護者会の活動も盛んで、大戦からの復興はまず子供中心に!を実践してきた自信が伺われました。

人の好意は消費するものではなく、いただき、かえすもの。お互い様、の精神です。福祉や教育は、電力やゴミ収取や衣食住のように消費するものだ、という考えはある。それでは、自分はその代わりに社会に何を戻しているのか、貢献しているのか? もらうだけ、で返さない。それでは、健全な社会発展にはならないし、一時的に栄えても、長続きしない、持続可能ではない(sustainableではない)。 レッジョの考え、持続可能な社会の構築に当たっては、市民一人一人の社会貢献が基礎、という話でした。その通りです。ありがとうの一言でも、あるいはゴミが落ちていたら拾う、雨に濡れている人がいたら、傘を差し出す。そんな社会をレッジョは実践していると感じました。

午後は、アトリエスタによるアート的仕掛けについて。スライドが面白すぎて、美しすぎて、発達段階をうまく理解して、仕掛けていく方法についての解説。道具を揃えるるのではなく、その意図を理解して、道具を、ステージを用意する、そんなことを繰り返して分解して教えていただきました。

2日のアジア大会。日本からの参加は4人。オーストラリア、カナダからも参加あり、もちろんシンガポール周辺国や中国からも大勢の参加者。これからも英語は最低条件だと、幼児教育分野での情報収集や交流でも、と実感。特別なものではなく、しかも目的ではなく、道具としてです。和光でも自然に取り入れます。

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