創作活動

ばなな

今日の表現会の開会の挨拶で、和光が8年前から取り組んでいる「見守る保育」の分かりやすい例として、「バナナがうまくむけない子どもを前にして保育士はどうするか?」という話をしました。

人間は、困った人、弱い立場の人を見ると、自然に助けの手を差し伸べたくなります。 これは、本能、DNAのレベルで自動化された行動です(たまに”でないこと”も、あったりしますが)。 なので、園内で靴下が履けないこ、お出かけの時に外履きがなかなか履けないこ、ついつい「やってあげたく」なります。 「たすけてー」のサインに気づかなかったり、無視してはいけませんが、いつまでも靴を履かせるわけには行きません。自分ではこう、という意欲も人間が自然に持って生まれたもの、これもDNA。 意欲をそぐ、意欲が育たない、そんな援助は援助ではないですね。 見守るにはセンスと忍耐が必要です。

1月の「まなびのアトリエ」開所式に記念講演いただいた「見守る保育」の研修でお世話になっている「新宿せいが子ども園」の藤森園長は「バナナがうまくむけない子がいたら、うまくむける子の横に座らせれば良い」という主旨の話をされました。  そんな保育に取り組んで、8年。 今年の表現会は「バナナ」な表現会になりました。 子どもの成長は一人ひとり違います。 得意、不得意もそれぞれ。そんな子どもが3歳から6歳になった子まで90人集まれば、個性の集団。 雲梯もそうですが、できる子から学びます。自分も遊びは近所の友達から学びました。 コマ回し、自転車、ソフトボール。 今日の表現会、合唱も、劇も、ダンスも。 先生の顔色を伺って歌っているこ、劇を演じている子はいませんでしたね。 セリフを忘れても舞台袖の先生を見るのではなく、目の前の友だちがセリフを教えてくれました。 これは、普段から「バナナ」しているからです。それから、今年は園長は何もしていませんでした。 リハーサルに5分ほどでましたが、会場のホテル担当者の方との打ち合わせ、会場レイアウト変更、大道具の製作、劇のストーリーの確認、音楽の編集やiPodへのデータコピー、一切先生たちが「バナナ」してました。 赤組に加えて黄色組がビデオ出演することを承認し、会の名前を多様性に考慮して、今年から「クリスマス」を外して「表現会」に変える決断をしただけです。 そのあとは、私は、レンタカーを運転し、開会と閉会の挨拶で話しただけでした(それでは疎外感が湧くので、プログラムのパワポで作る”役割”をもらったくらいです)。 これは、良いですね。