こんにちは。雪積もりましたね。
今日は、少し前のブログ(10月17日)の続きのお話しをしますね。
自分ではどんな欲求をも満たす能力のない乳児期の子どもが、たとえば、お腹がすいたからオッパイを欲しいと泣いて訴えても、夜遅いからお母さんも眠いので朝まで我慢してといって放置(無視)されたとしたら、赤ちゃんは忍耐強く聞き分けのよい子どもに成長するでしょうか。どう思われますか?
それが続くと、赤ちゃんは、しだいに深夜に空腹を感じても、泣いてオッパイを要求することはしなくなってきます。そのかわりお母さんや周りの人たちへの不信感を募らせていくのです。
そしてこの不信感とともに、子どもの性格の基盤に根ざしてしまう感情が、一種の劣等感に似たものです。
「泣いて訴えてもダメなものはダメだ」という不信感と無力感が、子どもの人格の奥に根づいてしまうのですね。
ということは、お母さんをとおして、周囲の人々や世界への信頼感を大きく持てた子どもは、自分という存在にもそれだけ豊かな自信を持てることになります。
反対に、周りの人たちに不信感の方を強くした子どもは、無気力や劣等感を抱きやすい人格の基盤構造を作ってしまうことになるのです。
このようなことからわかることは、人生の最初の時期(乳児期から幼児期のはじめ)には子どもはお母さんを中心に、周囲の人に
『自分が望むように』愛されることが不可欠ともいえるほど大切で、その後の人格の形成に大変重要な意味を持つことになります。
赤ちゃんの泣き声(呼びかけ)には、しっかり耳を傾けて、その欲求を満たしてやろうという心がけが乳児期の育児には必要です。
そのことを知りつつ、自然に楽しくできる大人(私の場合は保育者)であろうと思います。
いろいろお伝えしましたが、子育ては難しく考えないで、子どもの気持ちに心を寄せ、笑顔でいれることが何よりです。
何となく気ぜわしくなる師走ですが、子育てで普段感じていること、ゆっくり話してみませんか?お電話してご来所ください。お待ちしています。