休日

ちがい

ネットが普及し、「フラットな世界」になって久しい。

そうすると、価値観や習慣や法律もボーダレスだと思い込んでしまう。

金曜日、ITセミナーの昼休みに、モノレール発着駅ビルの定食屋でランチ。近所のビジネス客、旅行客で繁盛している店の前のお昼のサンプルはどれも美味しそうで、値段も手頃。今日のランチを頼んで、一人でカウンター席に。とても繁盛しているよで、カウンター席の左右に座っている先客たちにもまだ食事は運ばれておらず、スマホで暇つぶし。「おっと、ハズレか」と思っても既に遅し。私も、スマホでニュースやメールを読んだりして時間を潰す。そのうち、てんてこまいのキッチンから、多国籍従業員の手際の悪さにカッカしている人が、どんどん怒り出す。あれこれ、怒り出す。「はい、わかりました」と多国籍チームが答えるが、それでも「おいおい、・・・」との怒りの言葉は止まず。お客であるこちらまで怒られているようで気分悪くなり、帰ろうか、と思ったら。

「おい、おまえ、何で洗ってる? ちゃんと洗剤つけて洗えよ!」

「洗剤ありません」

「なにー、洗剤もつけないで洗ってるのか」

「はい」

「それなら、洗剤買ってこい」

「はい、これから下のお店で洗剤買ってきます」

おいしい、おいしくない、ならいいけど、清潔と不潔が店のあり方なら、これはすごいことだ。そうしているうちに、今日のランチが来たので、食べた。

木曜から、報道されている自動車メーカーの米国人役員の逮捕。彼女とはGM時代に一緒に仕事をした仲です。テネシー工場に日本のジャーナリストを連れてゆき、取材してもらったときの現地の責任者でした。頭のいい、でも素朴な人柄で、誰からも尊敬されていて、仲間の多かった。そんな彼女が逮捕されて警察のバンに乗り込む姿や、後部座席に座って警察署を出る姿を昨日、何度かテレビニュースで観ましたが、心が痛みます。その昔、日本の薬(処方された薬局の袋に入ったやつ)を米国の税関で没収される、なんて話は茶飯事。基準が違うことも忘れがち。彼女の仕事振り、才能とは違ったところで、彼女の評価がされるのは辛いものがあります。