園長室には、いろんな友達がやってきます。
アトリエで印刷指示した塗り絵の下絵が、園長室のプリンターから出てくると、きまって「えんちょーせんせー、ぬりえとりにきました!」とニコニコ顔で入ってきます。 まだ、すこし暖かいコピー紙を折り曲げないように大切に両手に抱えて、アトリエに戻ってゆきます。
「えんちょーせんせー、しゃしんとって」と目とおでこを入り口のドアから覗かせたり、そしてツリーの前でポーズ。
昨日の朝刊のコラムで、大手証券会社系のシンクタンクで働く方が、”保育全入で労働力と人口維持”と題して「少子化対策には、あと27.9万人分の保育の受け皿を追加で整備できれば、働く母親の子の保育全入が実現し、確実な労働力の確保につながり、出生率も1.8まで上がる計算である(ずいぶん、はしょっていますが)」とおっしゃる。 ご自身もお子さんを保育園に預けて、「仕事と育児の両立には、親子ともに安心できる保育サポートが不可欠だった」と振り返られています。 利用者の立場からすれば、確かにそうだ、と思いますが、実は保育園・こども園は就労支援(保育サポート)だけのための”受け皿”施設ではない、と自負して多くの園は、日々の保育・教育に取り組んでいると思います。 つまり、保育園・こども園は乳幼児の保育・教育施設で”受け皿”ではないのです。 そこでは、友達と、それから先生と、(たまに)園長と人間関係を築いて、集団の中で育ってゆきます。 小学校以降も集団での生活。 いま乳幼児教育分野で話題の「非認知能力=GRIT」、つまり「根性」「やりとげるちから」「がんばる」「おもいやり」などは、複数の友達との遊びの中で、気づき、育まれ、身につきます。 「就労できれば、少子化対策になるので、全入にすべき」の発想は、「保育園落ちた・・・」と同じレベル。 シンクタンクの上級コンサルタントである方でも、こんな考えなのか、と昨晩夕飯を食べながら思った次第。 しかし、これが世間一般の理解なのだろうな、というのも現実ですね。