夏に生まれた孫は、鏡をみると、ケラケラ笑います。 なにか、おもしろい映像がみえる、と思っているようです。
鏡に映った赤ちゃんが自分であるとの認識はまだないようです (1歳半ぐらいから”自分”という感情がわき、自分以外の”他人”とう存在を意識しはじめる、と保育教本にあります)。 その実験が、乳児と大人が横に並んで、一つのものを見つめて、”あ、ママ(という、私ではない人)も私と同じものを見ているんだ”と気づきます。 園舎前の石川線の電車が通過するときに、ママ(パパでも)みて、”ほら、でんしゃがくるよ”と顔を向けあうのが、自分とう存在のほかに、他人(ママ、先生など)がいることを認識するというわけです。
自分という存在を認識し、他人とう存在も認識すると、自我が生まれ、いよいよ人となっていきますね。 「鏡」という言葉は、「お手本」という意味であったり、あるいは「自分を見つめる」という意味であったり、深い言葉です。
登園するとき、ランチのとき、降園するときに、ロビーやカフェテリアでは、鏡の前で手洗いと身だしなみの時間があります。 ハンガリーの保育園を訪ねた際には、2歳児が”マイ”櫛を持って、鏡の前で前髪を整える場面を見ました。 それで、和光にもこどもの目の高さに鏡が沢山あります。