しめきりだ~

米系PRコンサルタント会社に半年ぐらいCOOとして勤めました。 PR実務が仕事ではなく、管理部門の責任者で、マスコミやコンサルタントにありがちな、労務問題解決が仕事でした。

グループ毎、担当毎にプロジェクトの期日が迫ると、勤務時間も長くなる(残業のことです)のは世界共通と思います。 しかし、アメリカ人社員と比較すると日本人社員は圧倒的に、残業時間が多い。 いつも残業で、定時が無いような、予め定時を決めていないような働き方で、そうすると仕事の効率も質もさがるので、ここいらを何とかするのが私の仕事でした(のちに、製造業が恋しくなり仏靴メーカーに移りましたが)。 それで、アメリカ人社員に「なぜ、日本人社員は残業が多いと思いか?」と聞いたら、「そりゃ、簡単。 明日でいい仕事を今日に終わらせてしまい、明後日で良い仕事を明日済ませようとするので、永遠に残業はなくならない。 つまり、優先順位付けと仕事量の見積が下手、という答え。 明日のことを今日やっとけば、安心ですが、それとは引き換えに自分の時間を削っているわけで、そちらが幸せか・・・。 明日できることは、明日。 しかし、それでもいつかは締め切りがやってくるわけで、私は”ジタバタ”するほうです。

月初の研修の宿題を頭に置きつつ、午前は9月のお誕生会を”はしご”して、大好きなカレーのランチを食べ、そして午後は野々市市市民会館で行われた就職説明会へ。 4社が参加。 コンビニ、家族葬会社、和光、持ち帰りすしの老舗。 シニア向けの説明会でしたが、それぞれの会社がシニアを求める理由は同じ。 「丁寧な仕事」「時間や結果に責任感」」「相手の気持ちに立ち、気が利く」でした。 つまり、昭和中頃までは、今の言葉でいう「非認知能力」(=知識ではなく、根性などのメンタルな部分の能力)を育てる教育・指導がメインであり、「知っていること」「覚えていること」は個々の責任と意欲でやっておいて、というところ。 現代も、「知っている」「覚えている」はネットで素早く十分な情報が得られるので、こういった「認知能力」の価値は薄れ、「非認知能力」に注目が集まるわけです。 そうすると、昭和中期と現代の間の教育に何があったのか? どんな問題があったのか? 「ゆとり教育」がやり玉にあがりますが、それだけではないな、と思っています。

4時に園にもどり、そろそろ「しめきりだ~」を自覚して、園長室にこもって原稿書き。 70%までできて、残り30%に掛かる時間を見積り、締め切りの23日午後6時には間に合うと踏んだので、8時に帰りました。 いそがしい、しかもとっても感じの悪い態度を職員の皆にとったと反省する一日でした。 いい話もあります。 応募が3件あったこと。 応募を採用に替える、これが園長力か。