園の日常

しつ

朝刊の2面は増え続ける保育ニーズに、ここ2年で全国で14万人分の定員を増やしたが、現場が追いついていない、という記事。

首都圏の保育士・保育教諭の求人倍率は5.5。つまり、5.5人に一人の保育士候補が見つかる、ということ。資格あっての仕事なので、倍率は高くなるのはわかるにしても、一人の保育士・保育教諭(すみません、めんどうな言い回しで。保育園は”保育士”、認定こども園は”保育教諭”と呼びます、今年の4月から)を5.5の保育所(あるいは、認定こども園)で取り合う、というのが実態。石川県では? 数字はわかりませんが、1を切るということはないと思います。また、現実問題として今後少子高齢化の現象として、0−5歳の人口が減り、現在やっと整備が始まった保育士の処遇改善が進み、”保育士のなり手”が増えたり、”転職しない”状況が進めば、保育士不足が保育士過剰になることも、同時に分析結果として広く知られています。

記事の内容は、保育現場の看護師が経験不足の保育士がオムツ交換を手袋なしで行っている現場を見かけた、経験不足で園児一人一人に目が行き届いておらず、ケガが起こりやすい状況になっている、だから保育所をたくさん作れば待機児童問題は解消に向かうが、子供達は本当にそれで幸せなのか、というストーリー。

確かに、保育の技術や知識の向上には、和光でもどんどん伸ばしていく必要はあります。衛生管理はもちろんです。ただ、私が思うのは技術や知識より、心。「目の前の困っている人に、助けの手を差し伸べること」が和光会の理念です。目の前の”困っている人”に共感できなかったり、気づかなかったり。発達に遅れのある園児の”できる”ところに目が向かず、”できないところ”ばかりに目が行くこと。こんな人は和光では仕事がありません。求人倍率では現れない、本当の保育現場の問題点、朝刊ではエグられていなかったのが残念、と思いながら和光に向かったのが今朝でした。

しかし、園児の楽しそうなすがた、私を見つけてニッコリ、あるいはタッチしに駆け寄ってくれる園児、それを見守る保育教諭(認定こども園なので)と職員の笑顔をみると、大丈夫だ、これからもっとよくなるぞ、と自信を持つのでした。